超絶技巧と打ち込み

 むかし、超絶技巧のロックバンドが好きな父に、何かの音楽を聴かせてもらっていた時、

「打ち込みはなぁ...」

と父が呟いた。私がそれはどういう意味なのだと尋ねると、父は待っていましたというような微笑みを浮かべた。そして各種楽器の音を聴き比べさせたり、父の持論である打ち込み音楽批判を懇々と説いて聞かせた。

 わたしはそれなりに興味深く聞いていたが、ときどき子供っぽい質問攻撃で父を困らせた。

「打ち込みの音と生の音はどう違うの?」

「どう違うって、まあそんなものは聴けば分かるから違うとしか言えない」

「どんなふうに聴き比べれば分かる?」

「生の音はな、音に色気があるっていうか、生きている感じがするんだよ。そこがぜんぜん違う」

「じゃあ、その生の音を録音して打ち込みに使ったら、聴き比べられるの?」

当時小学三年生ぐらいの私にそういう物事の醍醐味? のようなものを平易な言葉で語って教えるのは随分骨が折れたことだろう。それでも父は、何かしらの例えを用いたりしながら、粘り強く話を続けてくれた。

「もし時代が進んで、打ち込みの音でも生の音と違いがないようになったら、ギタリストっていなくなるんじゃない?」

私は本質をついたつもりだった。これに父がどう答えるか楽しみだった。でも父は首を振った。

「そういう音楽は多く作られることになるだろうけど、無くなることはしばらくないと思うな」

「どうして」

「みんなギターが好きだし、ギタリストが好きだから」

私にはよくわからなかった。多分その頃、わたしはほどんどロックバンドに興味がなかったからだと思う。

 「ふーん」と私は不満げな返事をしたように覚えている。