信じられないくらい前時代

 さきほど職場の研修を終えてきた。

 二泊三日、エアコンもない山中の宿泊施設で、声に出すだけで歯が浮くような、美しい理想を描き語らせられる研修だった。もちろん役に立つ部分も無くはない。しかし、山の中で、洗濯もできず、飲酒も禁じられた環境で学ぶべきことではないのでは? と思う。

 いま、たまった洗濯物を洗濯機に突っ込んで、24度のエアコンの下で、ようやく人権を取り戻したような心地になっている。

 数時間前まで過ごしていたあの特殊な空間、あれはなんだったのだろう? とふりかえる。例えばグループ活動、雨の降る中の山登り、22時の消灯(見回りさえくるのだ!)、感動の強要...。わたしはこうやって一人でコンピュータの前に座ったり、近すぎない距離の人間関係の中にいるのが心地いいのだ。

 「協働すること」の美しさに酔っているのではないかしら? わたしはそういう協力とか、団結とか、絆という言葉にアレルギー反応のようにムズムズしてしまう。本質的に人間は一人なのだよ。分かり合えたつもりになることが、私は嫌なのです。感動したくないのです。

 人の周りにたちこめている湯気のような熱を、わたしは避けて生きていたいのに、それを無理やりくっつけ合わせて、「仲良くなれた!」なんて騒いでいる。私のストレスは見過ごされ、愛想笑いばかりが上手になっていった。もしかすると私以外のひとびともそうなのかもしれない。冷めた気持ちを抱えながら、前時代的な熱っぽさを演じて愛想笑いしている人も、きっと居たのだろう。