日本海側に引っ越した

 神奈川県の海のそばの街から、今度は東北某県の日本海側の街に引っ越した。海に面している、というほど近くはないが、ときどき風に潮の香りが混ざる。

 引っ越してきた家は六畳間が洋間と和室で一つずつ、それとダイニングキッチンが八畳くらい。持て余すぐらい広い。家具を全て運び込んでいないので、まだ洋間の6畳は何も使っていない。また、歩いて7分ぐらいで、スーパーやクリーニング屋、定食屋などがある通りに出られる。まあ申し分ない物件である。一つ難点を挙げるとすれば、エアコンが和室に一台あるだけで、他の部屋に空調がついていないこと。贅沢は言い出せばきりがないのだが。

 ガスコンロもテレビも運び込んでおらず、インターネット環境も整備しきっていないので、どうにも退屈する。散歩に出かけると、近所の高齢者(神奈川と比べて、実に高齢者が多い)が怪訝そうな目で私を見る。この町では若者は徒歩で移動しないのだ。徒歩で移動するのは小・中学生と高齢者ばかりで、私ぐらいの年齢の人間は皆、車で移動する。不審に見えるでしょうね。不審で結構。何も悪いことはしていない。

 職場までは徒歩で25分ぐらいなのだが、先日職場で仕事の引き継ぎに行った際、そのことを伝えたら、

「歩く距離じゃないですよねえ」

と言われた。え、本当ですか? カルチャーギャップ。

 あまりに退屈すぎて、本を読んだり文章を書いたりして過ごしているが、習慣的に、どうしてもテレビやラジオの雑音が欲しくなる。が、テレビは4/2まで入手できない。携帯も通信制限がかかりそう。私の生活はこんなにも限定されている。いっそ、他者との関わりに重きを置かず、自らの内奥に深く潜り込む期間にすべきなのだろう。

 

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 今年度の職場には、実はわたしが世話になった(というか、現在の私のメンタリティに多分に影響を及ぼした)59歳のおじさんがいる。その人に割烹料理屋のランチをご馳走になったあと、車の中で、こんな話をされた。

「今の季節なんかはまだマシな方でさ、冬の間は...だいたい二月の終わりくらいまでは、ずっと鉛色の雲に閉じ込められるように過ごすんだよ。そりゃあもう地吹雪に閉じ込められて。歩いて五分のコンビニに行くにも車じゃなきゃとても行く気にならない。当然学校じゃ不登校のやつも増える。...しかしね、この町の人たちはずいぶんのんびりした、穏やかな人たちが多いね。武士気質っていうか、藤沢周平じゃないけど。そういう冬にも耐える性質を持ってるっていうか...。

 つくづく思うのが、イタリアの南の方で、カンツォーネ聴きながら海の幸のパスタを食べて、ワインを飲んでたら悩むこともしないよな。みんなハッピー、みたいなさあ。

 それに比べてドイツとか、ああいう寒くて暗い土地にだからこそ、哲学ってものは生まれるんだろうなあ。家にずっと引きこもってうつ病みたいになって、生きることと死ぬことを本気で悩まないとあんな哲学は生まれてこないって。さらにそれより寒いところに行くと、ロシアとかにいくと、ドストエフスキーとか、とんでもない人間の闇みたいなものを見つめる作家が出てくるのよ。おもしれえなあ。

 ...まあ、また向こう(関東)に戻るのかもしれないけど、まず一年はここにいるんだから、閉じ込められてみるのも、いいんじゃないの」

 

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 近所のスーパーでは刺身が豊富に売られている。安いし、一目見ただけで新鮮でうまそうだと分かる。しかもそれが八時をすぎると半額になっていたりする。今年一年の楽しみは季節の魚と白ワインだな。

 もうすぐ四月が来てしまう。ゴールデンウィークに恋人がこちらに来て、結構有名なイタリアンの店に行くという予定がある。それ以外は不安。不安というより、何だろう、腹は据わっているんだけど決して楽観視はしていない。前途を不安に思って過ごす時間は長いけれど、後に振り返ってみれば、何となく楽しかった思い出になってしまう。すべては過ぎる。夢のように過ぎる。