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映画の魔法、ラ・ラ・ランド

 ラ・ラ・ランドを観た。

 予告編をはじめてみたときから頭にぴーんときていた。鮮やかな衣装の色彩、メロディアスで元気の出る音楽、そしてセッションの監督だというので、もう、脳内麻薬がどばどば出るタイプのミュージカルだということが予想できた。ストーリー云々はわからないけど、脳内麻薬どばどば感は約束されている。観ないと言う選択肢はなかった。

 

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 以下、ネタバレあります。

 

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 物語の冒頭、L.A(歌を口ずさむlaとロサンゼルスのL.Aがかかってるのね)への高速道路の渋滞の車の数々を写す場面。若者たちが不機嫌そうに音楽を聴いている。その中の一人の女性が歌い始める。ああ、始まった! とワクワクする。語られているのは、将来の夢と自らの状況のギャップを感じながらも、あくまでその美しい夢を全肯定しようという内容の歌詞だ。車の中から若者たちが飛び出し、渋滞するロサンゼルスへのハイウェイ(つまり、ハリウッドスターへの道の暗示なのだと思う)で笑顔で踊る。人生賛美だ! ミュージカルは人生賛美じゃなくっちゃ! 

 わたしはこの場面、冒頭五分ぐらいだけど、もうぼろぼろ泣いてしまった。体が自然にリズムをとってしまった、とかじゃなく、全身がびくびくするぐらい泣いた。人生を肯定されている気がした。

 ミアは女優を目指しながら、ロサンゼルスでアルバイトをしている。プリウスに乗って通勤である。多分かなり裕福な家庭の出だろう。大学の法学部? を中退して、女優を目指しながらアルバイトしてられるような後ろ盾がある。同じく女優を目指す若い女友達らと、パーティやオーディションに繰り出してはチャンスを掴もうとしているミアは、行く先々でジャズピアニストのセバスチャン(セブ)に出会う。

 一方セブは、レストランのピアニストとして演奏はしているが、純粋なジャズへの情熱と経済的な都合の折り合いの間で悩んでいる。ミアと比べれば後ろ盾はないが、演奏者としての技術は確かなものを持っている。やや懐古主義的な趣味から、現代の音楽シーンに不満タラタラ、生きづらそうなタイプである(ちなみに私もそんなところが多いにあるので、彼に感情移入した)。

 ミアとセブは二人とも夢がある。女優としての成功、ピアニストとして店を持つこと。それぞれの夢と経済的な安定性はトレードオフの関係で、どちらか一方しか得られない、という前提が端々ではっきり描かれる。

 

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 どうでもいいんだけど、すでに成功したスポーツ選手とかが、「あきらめなければ夢は叶う」っていうのあれは生存バイアスだよね。夢を叶えた人同士の世界に生きていれば、それはそういう気持ちにもなるのかもしれないけど、世の中の果たしてどれぐらいの人が、ほんとうの「夢」を叶えているのだろう? 現実的な妥協線を見つけて、そこに長くいるうちに、自らを納得させる論理を拵えていくのが多くの人間たちじゃないか? ああいう講演会に、いったいなんの意味があるのだろう。夢を持つことは大変結構。夢が叶わなかったときに、発言に責任を負ってくれるのか、妙な講演するスポーツ選手たち。

 

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 二人は恋人同士、互いを精神的支柱にして、ちょっと夢の方へ背伸びし始める。ロサンゼルスの街にはスターがあふれ、映画の撮影も行われている。ミアの内側に、何かのタイミング次第で自分もスターになれるのではないか、という期待が膨らむ。オーディションに落ちてもセブがいる。

 二人のデートの場面はこの映画の中で最もうっとりとするシーン。天文台の大理石の建物の中を歩き、プラネタリウムの部屋にたどり着いてからが特に最高。星々の間を踊りながら進んでいく。恋する気持ちってこんな感じよね。私は踊れないけど、恋する気持ちを踊りと歌であらわしたら、こうなるんだろうな、って感じ。ああ、思い出すだけで美しすぎて涙がでそう。

 

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 セブの立場が見ていて辛かった。自分が本来目指しているところの古いスタイルのジャズではなく、打ち込み音源を交えたジャズ"風味"のバンドに加入すると、思いがけずそれがヒットし、多忙ながらも金銭的な余裕を得る。将来のためのある種の我慢の期間だと考えていたのかもしれない。それをミアがなじった。

 セブは、夢と現実の絶妙な妥協点を選んでいると思う。それに対して、「女優の道を諦めて弁護士にでもなろっかなァ〜(意訳)」みたいに言ってるミアちゃんになじられるのは耐えられないよ。ミアとの、それからの長い生活のことも想定していたからこそ、そういう道を選んだかもしれないっていうのに。他にもいくつかの人間関係の摩擦、そして遠距離の生活によって、ふたりの仲はとぎれる。

 

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 突如、五年後、というテロップがあらわれ、ミアに子供が生まれていることがわかる。そして女優として成功しているらしいことが分かってくる。夫と連れ立って、ふたたびL.Aへのハイウェイに乗り込むが、これも渋滞している。その渋滞を避けるために脇道に入ったところで、セブの開いたジャズの店に偶然入る。ああ、お互いそれぞれの夢は叶えているんだ。

 席に着いたミアと、ステージに立ったセブは目が合う。五年という歳月がすぎ、お互いの夢を叶えたものの、二人の間に恋の魔法がもどってくる。

 もし二人が別れずに暮らしていたら...もし二人の夢をともに叶えていたら...もし、今日この店に連れ立ってくるのが二人だったら...もし二人の間に子供が生まれていたら...変えることのできない過去に、「もし」をつけて夢を見る。音楽が終わるとき、その夢も終わる。でも彼らは本来的な目標としての夢は叶えている。女優、自分の店をもつこと。人生のある時期に連れ添い、互いを励ましあったからこそ今がある。恋愛の成就を最上の幸福と設定しないところが、とてもビターだ。それまで語られた夢が明るく美しかったからこそ、そこにリアルな人生の苦味がある。「でもそれでいいじゃないか」とセブの笑顔が語っているように見えた。

 

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 突然の五年後、というテロップと、その期間のあまりの説明の無さに一瞬困惑したが、監督は「もしも...」の苦味を表現したかったのかと思うと、まあ当然のことかしら。

 最近つねに『アデル、ブルーは熱い色』のことを考えてるんだけど、あの映画と同じで、物語の序盤や中盤に狂おしいほどの情熱を提示しておいて、最後にその頃のことを思う場面を挿入するの、ほんとずるい。ずるいけど好き。

 人生賛美だけど、物語の最後にちょっと変化球というか、人生のうまくいかなさもちょっと含んでいるのがミュージカルとしては新鮮だった。いい映画だった。