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たかが世界の終わり、世界が終わるよりもしんどい人生

雑感 映画 休日

 先日、たかが世界の終わりを見た。

 わたしは高校の頃に、お芝居の脚本を書いて自分で演出して、芝居にも出るという目立ちたがり学生だったんだけど、そのことを大学に入ってから人に話したら、「グザヴィエ・ドランみたいだね」と言われたことがあった。当時はなんだその聞いたこともない妙な名前は、と思っていた。そう言った友人は、LGBT関係の映像界隈では割と有名らしい若手のアーティストだ。その訳のわからない名前の監督の映画を、先日見た。わたしと恋人がファンであるレア・セドゥお姉様も出演しているというので、何かそういうタイミングだったのだと思う。

 

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 主人公のルイは、何かしらの病で余命がわずかで、12年間の時間を経て実家に帰る。彼が具体的になぜ実家に帰らなかったのかは説明されない。ただルイは、劇作家として目覚ましい活躍をしており、同性愛者であるらしい。

 ルイが帰った実家では、母と兄、兄の配偶者、そして妹が待っている。この映画にはそれ以外の人物は映らない(いや、冒頭の飛行機の中でルイに目隠ししていたずらする少年はいるが、それだけだ)。ほとんど自宅の敷地内で物語が進行していく上に、人物の顔をクローズアップするカットが多いので、かなり息がつまる。

 母と妹は、事情を問いたださずにルイを歓待しようとするが、兄がどうにも不機嫌な様子である。彼は実家近くの工場で勤務し、父親のいない家庭の中である種の大黒柱を演じようとしているが、おしゃべりというものに馴染めず、母と妹に対して激昂して怒鳴ることが多い。妻はルイと通じ合えるほど繊細な感情をもつが、意思が薄弱で自らは夫の言うことに従っている。おそらく彼ら夫婦の間には多くの会話は必要ないのだろう。正反対のようにも思えるが、会話が苦手な男と寡黙な女で、お互いを傷つけることなく一緒に居られるのではないか。

 自らの余命について告白を切り出せずにいるルイは、困ったような微笑みと適当な紋切型のフレーズで会話をやり過ごす。母と妹は美しく、才能に溢れるルイに尊敬の感情を隠さない。これに、兄が不快感を爆発させる。嫉妬だ。

 

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 ゴッド・ファーザーでは、先代のドンが死んだ後に、三男坊のマイケルがドンの座に就いたが、それを僻んだ次男のフレドが、ファミリーを危険に晒す。フレドには才能が無かった。長男のソニーが死に、そのあとは当然自分が継ぐと思って居たところを、三男にかっさらわれ、しかも職務は末端に近いところをあてがわれる。屈辱だろう。しかし彼はファミリーを仕切る才能はなく、渉外的な活動はうまい。俯瞰してみれば当然の人事だが、それを許せないような人格的な不完全さも、またあって当然だ。

 寡黙に汗水垂らして家を支える兄と、華やかなショービジネスの世界で持て囃され、家をほとんどかえりみず才能豊かな弟。あまりにも違いすぎる二人の間では、共通の話題もなく、話題どころか会話の様式さえ折り合わない。ストレスを感じると兄は叫ぶ。会話終了、主人公苦笑い。その繰り返し。本質的に彼らは変わらない。

 

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 しんどい映画だ。途中、鮮烈な映像と音楽でフラッシュバックする過去の場面が一服の清涼剤となる他は、つねに胃がきりきりするような場面の連続。こまごまとした映像のテクニックは圧倒的だし、俳優の演技も比類ない。が、登場人物たちのバックグラウンドをほとんど説明しないこの脚本と演出では、私も含め、初見の人にはなかなか理解しづらいだろう。「説明を極限まで省略した映画」というコンセプトで作られているのかもしれない。ぜんぜん親切ではないけど、表現の極北としてこれはありだなあ、と思った。翻って、一般のテレビドラマや映画がどれくらい説明に時間を割いているかに気付かされた部分もある。

 

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 正直に言ってまだまだ全貌がつかめない。

 わたしは当然ルイに感情移入すべきものだと思って見始めたが、物語の終盤にふっ、と兄の方に移入の対象がシフトする瞬間があった。また歳をとってから見たい気がする。

 自分の来訪が楔となって家族の関係が壊れてしまうことは、世界の終わり(=自分の死)よりしんどいかもしれない。

 

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 以上、書きなぐりですが、感想。