言葉の価値

 Twitterで日々のあれこれを書き綴っていると、何か長い文章を書くよりも簡単に、お気に入りやリツイートがあって、承認欲求を適度に満たされるので、しっかりした言葉を残しておこうという気力が失われてしまう。

 私のとって表現することは、食べることや眠ることに似ていて、それをやりたいと思っても際限なく続けることができないのだ。身体的・精神的に疲れてくると満足して、途中で放り出してしまう。だからいつも小説を書こう書こうと思って、書き始めて2000字もすると、もうしんどくなる。焼肉を食べたあとしばらく焼肉食べなくてもいいや、と思うように、もう物書きは結構って感じ。

 Twitterはそれはそれで、言葉の瞬発力を鍛える、言語クロッキー的な側面はあるんだけど、どうしても軽い。一茶の句ぐらい軽い。けど私が本当に好きな言葉って、芥川龍之介とか太宰の短篇のような、言葉の切れ味、精度を保ちつつ、読み続けられるようなはっきりした構成がある言葉なんだよなあ(ドストエフスキーぐらいになると、川が流れて海にたどり着く、というようなレベルでなく、地球上のすべての浜に届く波を表現するみたいなレベルだから、ちょっとおそれおおい)。

 

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 もし今まで私が垂れ流して来たツイートとかブログのテキストを、もう少し構成意識を持って、体系的な物語として提示できたら、ある程度価値のある言葉になるんじゃないか、と思った。厭世観、人を愛する気持ち、高すぎる自尊心、ポリティカリーコレクトであろうとして、うまくいかないもどかしさ。あとはなんだろう...。

 このブログで書く言葉も、出し惜しみというわけじゃないけど、生活の些末な手触りについての覚え書き程度にして、魂の本当のところは、ちょっとしまっておくことにしようかな、と思った。

 

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 昨日(2017/02/14)は恋人にチョコレートをもらった! 人生で一番嬉しいバレンタイン。チョコレートにもとめるすべてがあった。愛。