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芸大の卒展をみた

 芸大の卒展を見た。

 作者や個別の作品についてではなく、展示を概観して感想を書いてみようと思う。

 

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 東京芸大の敷地内には主に修士課程の学生の展示、その間にちらほらと学部生の展示があった。学部生が主な都美術館と、どういう住み分けをしているのかはわからない。

 都美術館と比べてゆったりとしたスペースでの展示が多かった。特に彫刻棟はかなり広い一部屋をまるごとつかったダイナミックな空間表現で、見応えがあった。もし時間がない人におすすめするとしたら、間違いなく彫刻棟の展示群だろう。絵画棟の作品は絵画科も先端科も、コンセプトにはいくぶん鋭いところはあるが、表現することに終始し、作品の鑑賞者に「伝える」という意識が足りてないように感じた。美術というものがどこまで「伝える」ことに努めれば良いか、それは悩みどころだ。しかし、あまりにも個人的な主題、例えば家族についてとか、自分自身の過去についてとか突き詰めて言及されても、(わたしはあなたにそんなに興味がないんだけど・・・)と感じてしまう。そういう作品は私の好みではない。

 大学美術館の地下の工芸、先端のスペースは併設するのはいかがのものか。工芸の作品の、極まったクオリティと、シンプルな美しさに並置して、先端科のトンチを効かせたような作品やメディア拡張的な作品があると、なんだか先端科には不利な展示環境なのではないか。同じフロアで組み合わせるなら、工芸と彫刻、油画と先端のほうが、鑑賞者にも学生にも良い環境だろう。

 デザイン科の展示は小ぎれいにまとまっていて見やすい。テキストもきちんと作られているし、動線も良い。一方で、小ぎれいにまとまっているけど、中身が薄すぎる作品がちらほらあった。そもそも「展示すること」に向かないタイプの作品を、無理やり展示形式のプレゼンテーションに変換しているものもあったのだろう。「それ、展示じゃなくてもよくない?」みたいに思ってしまう。まあ、展示しなければ卒業・修了できないのだから、そうしてるんだろうけど。

 都美術館では、学部生の作品をみたが、どの科も下限はそんなに低くない。安心して見られる印象だった。が、今振り返ってみて頭に残っている作品も多くない。日本画の学部生は、修士課程の学生の作品に全く劣らないレベルの作品もいくつかあった。

 

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 芸大に限った話ではないが、アーティストが書くことばってなぜあんなに読みづらいのだろう。個人的な世界観を言葉にして留めるのは結構だけど、テキストありきの展示で、読みづらい文章を晒すことに抵抗がないのだろうか。ぱっとみた作品が好きでも、作者のステートメントを読んだ瞬間に拒否反応が出てしまい、作品にも嫌悪感が出てしまうことがたびたびある。読まなければ良いんだけどさ。

 表現することそれ自体に集中しすぎて、鑑賞者の気持ちを忘れている作品はやっぱり苦手です。こんな大規模で作品数も多い展覧会で、長いテキストや、長い映像は鑑賞者に失礼だよ。卒業製作展覧会という形式にあわせようよ。

 

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 一緒に見に行ったひとと、帰りに手羽先を食べた。注文したメニューがなかなか来ず、催促したものの、それから30分ほど待たされ、もう一度催促すると、そのメニューが品切れだったとのこと。早く言ってくれればよかったのに、と思ったけれど、片言の日本語のその店員さんにあたってもしょうがないし、申し訳なさそうにしていたので、にこにこして「じゃあ、結構です、ありがとうございます」と言えた。自分、案外寛容だな、と思った。

 芸大生たちに対して、わたしはかなり不寛容なのだと思う。いろいろ思うところがあり、楽しんだけれど、素直に良かったと言えない。フラストレーション。芸術に触れるって良くも悪くもフラストレーションだよなあ。