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2017/01/10 仕事始め/億劫な自分に鞭を入れる方法

仕事 平日

 私の冬休みは2016/12/23から2017/01/09までだった。一般的な企業の勤め人と比べれば随分長いだろう。学生と同じくらい長い。かなり贅沢な時間の使い方をしたと思う。贅沢とは、いっぱい無駄なことをすることでもある。無駄な時間が私にとってはとても重要なことなのだ。

 

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 朝6:30に携帯の目覚まし音が鳴った。布団の中からもぞもぞと手を伸ばしてアラームを止めた。窓が結露で曇っているのが見える。外は寒いのだろう。布団が私を離さない。(...今日は実際私がする業務はほとんどないから、年休をとろうか)、とさえ思う。しかし職場に断りの電話をするのも億劫だ。何もしたくない。人間も冬眠すべきだ、などとツイートもした。6:45にもう一度アラームがなる。いい加減に支度を始めないと、朝食を抜かすことになる。いや、睡眠は朝食に勝る。7:00まで寝よう...。

 そして7:00にもアラームが鳴った。最後通告である。仕事始めから遅れていく人物という烙印を押されるか、もしくは今、布団を飛び出すかを選ばなければならない。もちろん布団を飛び出した。フローリングがあまりに冷たいのでカカトで歩いた。ペンギンが氷の上を歩くときに、氷に体温を奪われないように、足の接地面積をすくなくするためにそうするのだ。顔を洗い、お湯を沸かしインスタントコーヒーを淹れ、職場に来ていける服に着替える。ネクタイを結ぶために鏡の前に立ったとき、自分の姿勢の悪さに気づいた。寒さのせいでもあるが、何より、仕事をちょっと離れていたので、すっかり気が抜けているのだ。頬をぴしゃぴしゃ叩いてみても、目がとろんとしている。社会性、と自分に言い聞かせた。けれどそんなことをいつまでも気にしていたら、職場に遅れてしまう。職場に急ぐ間に多分気合も入るだろう。上着を着て、メガネをして、財布をもって、玄関で「あ〜」とため息をついた。早く来い来い春休み、である。

 そのようにして家を出て、自転車を漕ぎ出した。

 

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 結局のところ、えい、と勢いをつけてしまえば億劫なことでもなんとかなるのだが、一方で、「仕事に行きたくないけど結局はちゃんとする人」を演じている楽しみもある。

 シェイクスピアじゃないけれど、人は常に何かしらの役割を演じて過ごしているのだ。子供の頃に、良い子を演じたことが誰しもあるはずではないか、ちょっとの自己嫌悪とともに。しかし、子供だけが何かを演じている訳ではない。むしろ、大人の方が様々な役を演じている。演じ分けもしている。良い母親、良い父親、良い勤め人、良い部下、良い友人、良い妻、夫...。「自分ならこうするべき」という行動規範も、自分一人で作り上げた規範ではない。

 

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 マクベス:消えろ、消えろ、束の間の灯火!  人生はたかが歩く影、哀れな役者だ、 出場のあいだは舞台で大見得を切っても 袖へ入ればそれきりだ。白痴の喋る物語、たけり狂うわめき声ばかり、 筋の通った意味などない。(シェイクスピアマクベス』松岡和子訳)

 

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 演じることと自体は苦痛ではない。むしろ面倒ごとの多い人生を生き易くするためには必要なことだ。

 今年の秋から冬にかけては、私はずっと、朝が弱いひとを演じていた。事実弱い。が、ある日、蜷川幸雄の芝居に出る俳優だったらどんな朝を過ごすだろうと思いながら身支度をしたことがあった。想定したのは藤原竜也だ。

 藤原竜也の朝は早いだろう。だから私も早起きした。起きるやいなや、慌ただしく服を脱いで、シャワーを浴びる。蜷川はやたらと若い俳優の半裸体を舞台で晒した。若い私の肌の上を水滴が伝う。若々しい身体を我ながら誇りに思う。...バスタオルで体を拭き、几帳面にそれをハンガーに干し、髭をそり、そこそこバランスのいい朝食を摂り、髪も急いで整えて...まあ、自分が藤原竜也だったらと考えたら、つまりは、誇り高く、そして生き急ぐ青年になった訳だ。

 藤原竜也を演じた結果、行動の速度が上がった。現実生活の瑣末な面倒ごとよりも、to be, or not to be...という悩みに頭を支配されていた方が、むしろ楽だった。

 

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 なんだか自己啓発本みたいだけど、自分を定義している考え方をちょっと変えることで、生きるのが楽になることもあるのだなあ、と思った。明日は何の役の設定で起きてみようか。自分に鞭を入れるようなストイックな人物...V6のイノッチとかかなあ。