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2016/12/27

 地元に帰って来ている。県庁所在地ではあるけど、最大の駅から5分ほど歩けば疎らな住宅街になる。寂しい街だ。

 関東の冬と違い、日本海側の冬は、寒くても湿度があるので、嫌な感じがしない。空気を吸い込むと肺が清々しい。時折走る軽自動車(地方都市は実に軽自動車が多い)と遠くの鉄道の音ばかりが聞こえる。

(こんな街で生まれ育って、私はどんな風に生きていたんだっけ)と思った。何もないのだ。

 

    ※

 

 『羊をめぐる冒険』の後編を読み終えた。前編で散りばめられたカオスを回収したんだか回収してないんだか分からないような、それでも気持ちいいところに着地していく感じはいつもの春樹さんですねえ。それにしても羊男が可愛い。

 春樹作品の主人公って毎度毎度色々なものを失う。親友、恋人(ガールフレンドや妻のこともある)、そしてそもそも故郷というものは描かれてない。で、色々失った挙句、最後は都市の中に帰って、バーに行ったり自宅でレコード聴いたり鳩にポップコーンあげたりする。その寂しさが魅力的なのかなあ。喪失と再生(への兆し)とでも言えるかしら。

 

    ※

 

 ヘミングウェイの『老人と海』の光文社から出ているものも読んだ。中学生の頃に(なんか爺さんが海に行って帰ってくるだけの話じゃん)と思いながらも、なぜか読みきってしまった覚えがある。

 断片的に頭に残るイメージが鮮烈だ。例えば船の横に飛び出した獲物が中空で静止して見えた、と異様な場面。九月の太陽の下できらめく海面と魚の肌が眼に浮かぶようだ。

 自分の命と獲物をとることの価値を天秤にかけず、なかば投げやりなくらい、執着し続ける老人。本当のところでは浜で待つ少年にロマンみたいなものを教えてやりたかったのかなあ。マッチョイズムとひとくちでは言い切れないよなあ。

 宗教も地域も違うのに、違和感なく物語に没入できたのは、物語のほとんどが進行する海というものの普遍性によるのだろう。

 

    ※

 

 今は、本屋で買って来たサマセット・モームの『月と六ペンス』を読んでいる。