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牡蠣尽くしの昨夜

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同僚と牡蠣を食べた。一人で15粒くらいずつ。生牡蠣、焼き牡蠣、その他様々。

美味しいものを食べるのは好きだし、仕事のことについて喋るのも楽しいけれど、本質的に合わない人々なのだな、と感じるところもあった。単一性社会のメリット・デメリット、フランス語っぽく聞こえる日本語の話、映画祭ごとの受賞作品の傾向など、わたしの話したいことも偏ってるとは思うんだけど、なかなか興味を持ってもらえない。あー、話が合う人って本当に貴重なんだなあ。

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今日も平日だけど仕事が休みで、ちょっと用事で都内に出かける。わたしの住む駅の隣が観光地なので、その駅に来るとどっと人が乗り込んで来る。おじいさま、おばあさまたちがけたたましい話し声でやって来る。元気があって大変よろしい。その元気、元気のない若者にも分けてくれないかしら。

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鼻の頭にニキビができた。繰り返し同じ場所にできるから、もしかすると面疔かもしれない。抗生物質の入った市販の塗り薬を塗ったけど、すぐに赤みが引くわけではない。どうして耳の後ろとか目立たないところにできてくれないのかしら。よりによって一番目立つところに。

 

 

映画『タクシードライバー』を見た

 映画『タクシードライバー』をみた。

 DVDを注文するときに、勢いでamazonプライムに入会した。せっかく

プライム会員になったので、今日は映画を観ていた。

 

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 はじめてみたのは中学生の頃だった。中学生の私は、兄に勧められて観た『セブン』や『ユージュアル・サスペクツ』のような、90年代の暗鬱な雰囲気を反映したような映画にハマっていた。多感な時期にあんな暗い映画を見るべきではなかったのだと思う。わたしは案の定、暗い人間になった。暗いし、世の中に対して斜に構えている。反出生主義のようなことを、両親や教師の前でも口走った。嫌な子供だっただろうし、今でもお世辞にも正統派な人間とは言えない。

 暗い映画には系譜がある。監督のインタビューを読みあさっていると、バイオレンスはなんとかという映画、犯人像はなんとかという映画からインスパイアされた、と語っている。そこであげられる映画の名前は、『時計じかけのオレンジ』や『タクシードライバー』、『続・夕陽のガンマン』などだった。そして私の映画の好みは時代を遡った。

 キューブリック、コッポラ、初期のスコセッシなどなど。14歳や15歳の子供がみて理解できる映画ではないような気がするけど、それでも感銘を受けていた。同い年の子供たちが流行りのハリウッドのアクション映画にハマり始める頃、私はアメリカンニューシネマを観ていた。

 

  ※

 

 主人公のトラヴィスは孤独だ。ニューヨークのダウンタウンを夜な夜な運転して周りながら、街への嫌悪感を募らせる。売春、ポン引き、強盗。世間では大統領選が云々と騒いでいるが、新しい大統領がその腐敗を無くせるとは到底思えない。自分を理解してくれる人もいない。手を差し伸べてくれる人も。

 トラヴィスの孤独は、鬱々とした思春期の私の心情に共鳴した。思春期の私は世の中のことを知り始め、たくさんの理不尽、建前、独善的な大人たちに嫌悪感を抱いていた。当然誰も私を助けてくれないし、私も誰にも助けを求めるつもりもなかった。

 誰かを傷つけたかった。筆箱にカッターナイフを忍ばせて、強くなったように感じている。そんな中学生だった。しかし結局何もすることができない。私の心の中では激しい嵐のような感情が渦巻いていたけれど、それが私の行動をどうこうするということはなかった。ただ焦りながら、時間がすぎた。いつのまにか大人になっていた。

 トラヴィスはありえないスケールの妄想をもとに行動する。一介のタクシードライバー風情が、街の腐敗を粛清しようというのだ。無理にきまっている。しかし、世の中に対して暴力をもって働きかけようという彼の気概に、中学生の私は自然に感情移入していた。大統領候補も殺してほしいし、ポン引きも殺してほしい。自分を理解して、愛してくれる人間以外全員殺してしまえ、と思った。果たしてそんな人はなかなかいないのだけど。

 

  ※

 

 今日あらためてみたみたら、このトラヴィスを「狂気」だと呼ぶひとの気持ちがようやくわかった。評論やらブログの感想やらを読んで(え、どこが狂気なの?) と思っていたのだった。

 自分を傷つけてこない街の人間(いや、卵とか投げつけて来る子供はいたけど、あれは誰でもいいんでしょ)に対して、あんな風に勝手に一人で怒りを募らせて、一目惚れした女の子の職場にまで押しかけて、以前に乗せそうになった客の女の子を「救いたい」とか言ってる。孤独が彼の視野を狭めているのだ。ある程度は共感する部分もあるけど、微笑みをたたえて行動するようになってからは、病の進行を見守るような気持ちが大きくなった。世の中に対して、私がそんなに不満じゃないからだと思う。アメリカンニューシネマは、人生に不満な人間と、満足してる人間とで、全然見方が変わるんだなあ。

 

  ※

 

 しばらくはアマゾンプライムのビデオで趣味の時間が充実しそうだ。宣伝じゃないよ。

芸大の卒展をみた

 芸大の卒展を見た。

 作者や個別の作品についてではなく、展示を概観して感想を書いてみようと思う。

 

  ※

 

 東京芸大の敷地内には主に修士課程の学生の展示、その間にちらほらと学部生の展示があった。学部生が主な都美術館と、どういう住み分けをしているのかはわからない。

 都美術館と比べてゆったりとしたスペースでの展示が多かった。特に彫刻棟はかなり広い一部屋をまるごとつかったダイナミックな空間表現で、見応えがあった。もし時間がない人におすすめするとしたら、間違いなく彫刻棟の展示群だろう。絵画棟の作品は絵画科も先端科も、コンセプトにはいくぶん鋭いところはあるが、表現することに終始し、作品の鑑賞者に「伝える」という意識が足りてないように感じた。美術というものがどこまで「伝える」ことに努めれば良いか、それは悩みどころだ。しかし、あまりにも個人的な主題、例えば家族についてとか、自分自身の過去についてとか突き詰めて言及されても、(わたしはあなたにそんなに興味がないんだけど・・・)と感じてしまう。そういう作品は私の好みではない。

 大学美術館の地下の工芸、先端のスペースは併設するのはいかがのものか。工芸の作品の、極まったクオリティと、シンプルな美しさに並置して、先端科のトンチを効かせたような作品やメディア拡張的な作品があると、なんだか先端科には不利な展示環境なのではないか。同じフロアで組み合わせるなら、工芸と彫刻、油画と先端のほうが、鑑賞者にも学生にも良い環境だろう。

 デザイン科の展示は小ぎれいにまとまっていて見やすい。テキストもきちんと作られているし、動線も良い。一方で、小ぎれいにまとまっているけど、中身が薄すぎる作品がちらほらあった。そもそも「展示すること」に向かないタイプの作品を、無理やり展示形式のプレゼンテーションに変換しているものもあったのだろう。「それ、展示じゃなくてもよくない?」みたいに思ってしまう。まあ、展示しなければ卒業・修了できないのだから、そうしてるんだろうけど。

 都美術館では、学部生の作品をみたが、どの科も下限はそんなに低くない。安心して見られる印象だった。が、今振り返ってみて頭に残っている作品も多くない。日本画の学部生は、修士課程の学生の作品に全く劣らないレベルの作品もいくつかあった。

 

  ※

 

 芸大に限った話ではないが、アーティストが書くことばってなぜあんなに読みづらいのだろう。個人的な世界観を言葉にして留めるのは結構だけど、テキストありきの展示で、読みづらい文章を晒すことに抵抗がないのだろうか。ぱっとみた作品が好きでも、作者のステートメントを読んだ瞬間に拒否反応が出てしまい、作品にも嫌悪感が出てしまうことがたびたびある。読まなければ良いんだけどさ。

 表現することそれ自体に集中しすぎて、鑑賞者の気持ちを忘れている作品はやっぱり苦手です。こんな大規模で作品数も多い展覧会で、長いテキストや、長い映像は鑑賞者に失礼だよ。卒業製作展覧会という形式にあわせようよ。

 

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 一緒に見に行ったひとと、帰りに手羽先を食べた。注文したメニューがなかなか来ず、催促したものの、それから30分ほど待たされ、もう一度催促すると、そのメニューが品切れだったとのこと。早く言ってくれればよかったのに、と思ったけれど、片言の日本語のその店員さんにあたってもしょうがないし、申し訳なさそうにしていたので、にこにこして「じゃあ、結構です、ありがとうございます」と言えた。自分、案外寛容だな、と思った。

 芸大生たちに対して、わたしはかなり不寛容なのだと思う。いろいろ思うところがあり、楽しんだけれど、素直に良かったと言えない。フラストレーション。芸術に触れるって良くも悪くもフラストレーションだよなあ。

ねこの名前

 猫の名前を考える。

 いままで猫をはじめ、動物を飼ったことがない。わたしが生まれる前、母方の祖父母の家では猫を飼っていたそうだ。「高橋(母の旧姓)ね子」という名前だったそうだ。「ね子」が死んでしまってから、寂しくなった祖父母は、あたらしい猫を飼って、今度は「にゃん子」と名付けた。あるいは名付けなかったのかもしれない。ただそう読んでいただけなのかもしれない。

 

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 ねこ、と口に出すとそれだけで柔らかい気持ちになれる。ね、が暖かく柔らかな毛並みを思わせ、こ、がその毛並みの下にある小さな骨に触れるような感じがする。

 ね、こ。ねこ。ねこかわいい。

 

  ※

 

 猫の名前を呼ぶと、彼らは色々な反応をする。しっぽをぴく、と震わせるだけで、そっぽを向いているやつもいる。にゃーん、と返事をするやつもいる。わたしは猫の名前を呼んでみたい。どんな名前なら呼びたいかな〜と妄想することがしばしばある。

 今のところのベストは、男の子なら「チャーチル」か「カミュ」。女の子なら「ソーニャ」「サガン」。sやcなどの高音が最初に聞こえる音にすると、ねこが聞きやすいかな、と思っている。

 チャーチル! と呼ぶと、にゃーん、というかなあ。カミュ〜って呼んでもそっぽ向いてると思う。現実逃避だね。いつか現実にしたいね。

 

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 タラレバ娘をなんとなく見ていた。いい男は居ないか云々、元彼が云々、どこにでもありそうな話を、酩酊した吉高由里子たちが喋っているだけだ。なんでだろう、それでもちょっと面白い。満たされない思いをだらだら垂れ流して、ゆるやかに共有し、傷の舐め合いをする感じは、私にも覚えがある。

 満たされない思い。わたしは今のところ猫飼いたいなあ、ぐらいだなあ。チャーチルカミュ、ソーニャ、サガン、おいで〜遊ぼう〜。

宇宙一美味しいホルモンと日本一高い建造物デート

 日曜日は待ちに待った恋人とのデートだった。一週間のうち一番楽しいのはこの時間だ。ホルモンを食べに行く約束を精神的支柱にして平日を乗り切った。

 

  ※

 

 11時頃に恋人と亀戸駅で待ち合わせた。

 知っている人も多いだろうけど、亀戸はホルモン焼き屋が充実している。一番有名なのは亀戸ホルモン、それに並ぶのがホルモン青木2号店。我々は昼食に食べるつもりだったので、昼営業するホルモン青木の方へ。

 店は12時に開店するのだが、大人気店ということで、かなり早めに店に向かった。が、お店の中ではスタッフのミーティング中。あんまり早すぎたかな、と思い、亀戸の街をぶらぶらと歩く。

 狭い路地のあちこちに小さな店が連なっていた。ただ、昼の間に営業する飲食店は少ないようで、かわりに床屋やベーカリー、八百屋などが賑わっていた。

 15分ほど歩いてホルモン青木の前に戻ると、店の前に4脚の椅子が置かれ、そこに座って並ぶことができるようになった。我々の前に3人の女性客が座っていて、最後の一脚は恋人に譲った。私は恋人に本を貸し、彼女が読みすすめている部分を、一緒に読んでいた。陽射しが恋人の髪を照らしていた。気持ちいい日だったなあ。30分くらい待っていたけど、わたしはそんなに長く感じなかった。

 

  ※

 

 で、この肉。

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 カルビ! わたし写真撮るのうまいよなあ。

 サシがきれいに入っていて、厚切り。横浜のインターコンチネンタルみたいな形に切られたお肉もある。比較的さらっとしたタレで、味はそんなに濃くない。噛むと柔らかく、牛肉の赤身のうまみと脂身のうまみ。生きる歓びだ〜。

f:id:tobychang:20170123182227j:plain これがホルモン。辛味噌味。ホルモンに関しては、ほんとに美味しい。他でこんなに美味しいホルモンを私は食べたことがない。永遠の憧れ、ホルモンのイデア

 ほとんど油のかたまりなんだけど、その油をレモンサワー飲んで飲み込むのがね、ジャンクな食事の究極って感じ。レモンサワーも美味しかった。

 他にも色々頼んだけどあんまり写真を撮ってない。美味しいね〜って言いながら食べてたらつい頼みすぎちゃって、食べ過ぎました。普通のお肉と同じ感覚で食べるとのちのちきつくなるね。重い。

 

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 食後。最後に冷麺を食べたせいか、気温は高いのになんだか寒くなってしまって、喫茶店で温かい飲み物をのんでちょっと回復。

 美味しいものを食べて、温かい飲み物を飲んで、眠そうな恋人の顔を眺めていると、このまま陽の当たる窓際に布団を敷いて昼寝したくなってくる。

 

  ※

 

 亀戸駅からバスに乗って押上へ。スカイツリーの近辺に仮設のアイススケート場があるというので、そこが目当てだった。

 行ってみると、かなり長い行列で、子供連れも多く、思ったよりもリンクが狭かった。多分ここで並んで滑っても、私が子供と衝突したら致命傷になりかねないと思ったので、遠慮することにした。かわりに展望台に行ってみることにした。少し前に登ろうと思って、結局登らなかったことがあったのだ。そのリベンジ。

 

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 おお〜。新宿方面をとったもの。逆光で、空気の中のチリがモヤのように見えた。

 こういう景色を見ると、人類がとんでもない営みをしているように思う。ひとつの建物を建てるのにどれだけのお金や労働力、時間がかかっているのだろう。果てしなく続くように見える関東平野。無数のビル、無数の人間。気が遠くなる。でもそれで嫌気がさすことはない。わたしもこのどこかで暮らすのだろう。

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 日が暮れ始めると、かえって建物のディテールが見えるようになった。東京はやはりアジアなのだな、と思った。碁盤の目のように整理された区画と、それと微妙に角度が違う区画、また角度の違う区画...整頓されていてもどこか有機的な不完全さが残る景色だった。

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 日が暮れてからの写真。それにしてもiphone7ちゃんの感度がすごい。ちょっとガラスに他の照明が写り込んでしまったので、いい写真ではないなあ。

 

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 上野にいって、HUBで一杯だけ飲みながら、錦織とフェデラーの試合を見ていた。フェデラーは強かった。試合の後、インタビューに答えているフェデラーは、アンドリュー・ガーフィールドにちょっと似ていた。

 デートの帰り際がさみしい。楽しいことを考えよう、とずっと言っていた。楽しい予定を立てた。きょう、月曜日で、土曜日に恋人が泊まりに来るまでは、そんなに楽しいことはない。でも楽しいことを考えてなんとか過ごそう。

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 上は、不忍池の寛永堂。

2017/01/21 土曜日の過ごし方

 今週は長かった。ようやくきた土曜日。午前中はちょっと職場に。午後は色々と溜まっていたことをこなした。

 正午過ぎに帰宅してすぐ、洗濯機を回し、掃除機をかけ、来年度の仕事に関する書類を郵便局で出し、洗濯物を干し、夕飯の仕込みをして、髪を切りに行った。

 いつの間にか床に塵が積もってしまうように、生活のすべてに、何か塵のようなものが積もる。伸びてくる髪の毛、眼鏡についてしまう細かな傷、真っ白にはならないワイシャツの襟...。リセットするためにはお金や時間、手間がかかる。私にとって(というか、平日勤めの人は大体そうかもしれないが)土曜日はそんなリセットの意味合いがある。

 

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 30日スクワットチャレンジというものに取り組んでいる。今日が18日目だ。30日間少しずつ回数が増えていくスクワットをこなす(数日に一度休養日があるんだけど)プログラムで、アプリもいくつか出ている。

 恋人と励ましあいながら取り組んでいるので、ついついサボるということがなくていい。妙な完璧主義の私は、一度何かの事情でやめると、再び始めることができない。Twitterなどに連動しても続けやすいかもしれない。

 

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 明日は恋人とホルモンを食べに行く。私が今まで食べた中で一番美味しいホルモンだ。宇宙一美味しいと思う。宇宙のよその星でホルモン食べてる人いないと思うけど。

2017/01/19

 カティーサークを飲んでいる。ストレートで。氷もないし美味しい水もないので割る気にならない。酔っ払う。ミックスナッツとウイスキーだけでアルコール摂取はことたりる。

 明日は午前中の休みを取って、病院に寄ってから職場に行く。いつもより遅く起きられるので飲んでみようと思った。後味がしつこくなくてすいすい飲める。心地い酔い。あ〜、これははまりそう。

 

  ※

 

 大きながっしりしたベッドで眠りたい。

 森の中にあるレンガの家で、本を読んだり文章を書いたりして暮らしたい。格子窓の外には、枝に雪の積もったブナの林が見える。そして時折窓のそばまで小動物や鹿がやってきて家の中を覗いて行く。わたしは彼らにむやみに近づこうとはしない。お互いの生活を垣間見あうだけだ。

 冬の間は納屋に保存しておいた根菜をシチューにして毎日食べる。暖炉のそばで毛布をひざにかけ、あたたかいシチューを食べて、それからまた、本を読む。少しだけお酒を飲んでもいいかもしれない。暖炉の火の爆ぜる音がぱちぱちと小さく聞こえる。部屋の中には時計がないので、眠くなったときに布団に入る。もちろん朝も、起きたくなった時に起きだすのだ。つまるところ、人間の家の中で静かに暮らす知的な熊みたいになる。恋人が一緒なら尚のこと素敵だ。大きながっしりとしたベッドで暖めあうようにくっついて眠る知的な子熊のつがい、になりたい。

 

  ※

 

 人間関係でぐらぐらきたメンタルを癒すのは別の人間関係なんだなあ。は〜猫になりたい。猫は猫で大変だろうけど。