読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

2017/01/16

平日 雑感

 自己実現至上主義社会をやめませんか?

 テレビCMや電車内の広告で、若い女性が決意に満ちたような表情をしているのをよくみる。キャッチコピー言葉はいろいろだが、共通するのは「がんばる自分」像だ。「がんばる自分」が目指すのは、大学、企業だったり英会話ができる自分、痩せている自分、コミュニケーションが得意な自分...目標それ自体は素晴らしい。否定しない。夢があるなら大いに努力すべきだ。しかし、それらの自己実現の目標は、他人から責付かれた目標ではないか? と思うことがある。

 

  ※

 

 わたしがほしいもの、なりたい自分を本当に考えてみた。

・長すぎない労働時間/適切な賃金

・ほどよい住環境

・好きな人(恋人、配偶者だけじゃなく、仲の良い友人等も含む)との交流

・週に一度程度の美味しい食事

 なんというか、焦りたくないのだ。

 自分の人生を他人の人生と比較して、優越感に浸ったり劣等感に苛まれたりしたくない。努力したくない、というわけではない。自分の人生を他人に品定めされるのが耐えられないし、身の回りの人にも、そんなことしたくない。うーん。

 前に何かの記事で書いたけど、誰しも望まないマウンティングに巻き込まれることがあると思うんです。容姿だったり、資本だったり、趣味が高尚だとか低俗だとか、思想の正当性とか。

 もちろん色々なことをできる/知ってる方がいいことだとは思うけど、できる/知ってることをもって、他者を踏み台にして自分を満足させる人が、なんとなく多いように感じる。し、少なからぬ数の広告や雑誌が、それを助長してるとも思う。

 

  ※

 

 女性の脱毛関係の広告はそれが特に顕著。「脱毛して当然」とか「まだ脱毛始めてないの?」みたいな文言が目につく。男性誌で目にする言葉だと「ワンランク上の~」とか。腕時計とか車のグレードの話。「他人に勝るためにはこれ買ってください」「これをしないと他人に劣りますよ」という煽り方の広告が、ちょっと頭の片隅に残って不快になる。何様なんだよ、と。 他人の人生を値踏みするようなタイプの広告出す会社ですか〜みたいな。いや、そんなに怒ってないんだけど、引っかかる。

 

  ※

 

 ちょっと話が逸れたけど、結局言いたいことは、「本来的な意味での自己実現を経済的な尺度にすり替えられてませんか? そんな自己実現ならやめませんか?」ってことだと思います。

 商品の価値を売るんじゃなくて、捏造された自己実現のイメージで売り出すのが気にかかる。うーん、「がんばる私」像。みんな本当に「がんばる私」になりたいのかなあ。

2017/01/10 仕事始め/億劫な自分に鞭を入れる方法

仕事 平日

 私の冬休みは2016/12/23から2017/01/09までだった。一般的な企業の勤め人と比べれば随分長いだろう。学生と同じくらい長い。かなり贅沢な時間の使い方をしたと思う。贅沢とは、いっぱい無駄なことをすることでもある。無駄な時間が私にとってはとても重要なことなのだ。

 

  ※

 

 朝6:30に携帯の目覚まし音が鳴った。布団の中からもぞもぞと手を伸ばしてアラームを止めた。窓が結露で曇っているのが見える。外は寒いのだろう。布団が私を離さない。(...今日は実際私がする業務はほとんどないから、年休をとろうか)、とさえ思う。しかし職場に断りの電話をするのも億劫だ。何もしたくない。人間も冬眠すべきだ、などとツイートもした。6:45にもう一度アラームがなる。いい加減に支度を始めないと、朝食を抜かすことになる。いや、睡眠は朝食に勝る。7:00まで寝よう...。

 そして7:00にもアラームが鳴った。最後通告である。仕事始めから遅れていく人物という烙印を押されるか、もしくは今、布団を飛び出すかを選ばなければならない。もちろん布団を飛び出した。フローリングがあまりに冷たいのでカカトで歩いた。ペンギンが氷の上を歩くときに、氷に体温を奪われないように、足の接地面積をすくなくするためにそうするのだ。顔を洗い、お湯を沸かしインスタントコーヒーを淹れ、職場に来ていける服に着替える。ネクタイを結ぶために鏡の前に立ったとき、自分の姿勢の悪さに気づいた。寒さのせいでもあるが、何より、仕事をちょっと離れていたので、すっかり気が抜けているのだ。頬をぴしゃぴしゃ叩いてみても、目がとろんとしている。社会性、と自分に言い聞かせた。けれどそんなことをいつまでも気にしていたら、職場に遅れてしまう。職場に急ぐ間に多分気合も入るだろう。上着を着て、メガネをして、財布をもって、玄関で「あ〜」とため息をついた。早く来い来い春休み、である。

 そのようにして家を出て、自転車を漕ぎ出した。

 

  ※

 

 結局のところ、えい、と勢いをつけてしまえば億劫なことでもなんとかなるのだが、一方で、「仕事に行きたくないけど結局はちゃんとする人」を演じている楽しみもある。

 シェイクスピアじゃないけれど、人は常に何かしらの役割を演じて過ごしているのだ。子供の頃に、良い子を演じたことが誰しもあるはずではないか、ちょっとの自己嫌悪とともに。しかし、子供だけが何かを演じている訳ではない。むしろ、大人の方が様々な役を演じている。演じ分けもしている。良い母親、良い父親、良い勤め人、良い部下、良い友人、良い妻、夫...。「自分ならこうするべき」という行動規範も、自分一人で作り上げた規範ではない。

 

  ※

 

 マクベス:消えろ、消えろ、束の間の灯火!  人生はたかが歩く影、哀れな役者だ、 出場のあいだは舞台で大見得を切っても 袖へ入ればそれきりだ。白痴の喋る物語、たけり狂うわめき声ばかり、 筋の通った意味などない。(シェイクスピアマクベス』松岡和子訳)

 

  ※

 

 演じることと自体は苦痛ではない。むしろ面倒ごとの多い人生を生き易くするためには必要なことだ。

 今年の秋から冬にかけては、私はずっと、朝が弱いひとを演じていた。事実弱い。が、ある日、蜷川幸雄の芝居に出る俳優だったらどんな朝を過ごすだろうと思いながら身支度をしたことがあった。想定したのは藤原竜也だ。

 藤原竜也の朝は早いだろう。だから私も早起きした。起きるやいなや、慌ただしく服を脱いで、シャワーを浴びる。蜷川はやたらと若い俳優の半裸体を舞台で晒した。若い私の肌の上を水滴が伝う。若々しい身体を我ながら誇りに思う。...バスタオルで体を拭き、几帳面にそれをハンガーに干し、髭をそり、そこそこバランスのいい朝食を摂り、髪も急いで整えて...まあ、自分が藤原竜也だったらと考えたら、つまりは、誇り高く、そして生き急ぐ青年になった訳だ。

 藤原竜也を演じた結果、行動の速度が上がった。現実生活の瑣末な面倒ごとよりも、to be, or not to be...という悩みに頭を支配されていた方が、むしろ楽だった。

 

  ※

 

 なんだか自己啓発本みたいだけど、自分を定義している考え方をちょっと変えることで、生きるのが楽になることもあるのだなあ、と思った。明日は何の役の設定で起きてみようか。自分に鞭を入れるようなストイックな人物...V6のイノッチとかかなあ。

2017/01/09

読書 休日 雑感

 恋人に借りたねじまき鳥クロニクルを読み終えた。

 物語に登場する様々なモチーフに、何かしらの暗喩があるように感じて、読み始めはしんどかった。途中からはもう、物語の面白さに引き込まれて暗喩について解釈しようとすることを放棄してしまった。

 

  ※

 

 今日で冬休みが終わる。冬休み前半はよく食べて太って、後半は糖質制限で少し体重を戻した。映画を見たり本を読んだり音楽を聴いたりした。

 映画を見るときも、小説を読むときも、自分が普段考えていることと似た部分に感情移入して見てしまう。普段考えていること、例えば社会の少数派と多数派のこと、誰しもがもっている高尚と卑俗の両極端な精神のこと、家族や恋人との関係性について、などなど。

 良い作品には、そういう要素が重層的にいくつも隠れている。「何度鑑賞しても新しい発見がある」という慣用句みたいな言葉があるけど、私の実感としては、作品自体よりも、作品によって刺激される自分の部分が毎回異なる、という感じがする。

2017/01/08 俺のフレンチでランチ

食事 雑感 休日

 今日は新橋から東京駅までをデートしてきた。肌寒く雨も降ったけれど、良い一日だった。

 新橋駅で12時頃に恋人と待ち合わせた。私の自宅から新橋までは、ドア・トゥ・ドアで1時間30分ほどかかる。CDアルバムを一枚と半分聴ける。今日はデヴィッド・ボウイの三枚組のベスト盤を聞くことにした。往復で3時間。だいたい全部聴き終える計算だ。初期から終盤まで、音楽性は常に変わり続けたが、「かっこいい」という点は変わらなかった。スターだなあ。

 

  ※

 

 昼食は、先日から恋人と「食べたいね」と話していた俺のフレンチに行くことにした。銀座一丁目にある店舗はランチも営業しているとのことで、即決だった。

 銀座は歩行者天国になっていたが、雨の予報のせいか、思っていたより人はまばらだった。私は銀座が好きだ。まっすぐに伸びた道路の左右に、様々なブランドのビルが、それぞれの個性を表現しつつ、それでも町全体の景観としては、まとまった印象を受ける。調和、という言葉を思わせるところがある。そんな街を素敵な人と歩くのは、何とも気分が良いものだ。

 

  ※

 

f:id:tobychang:20170108221932j:plain

 上はズワイガニと鯵のタルタル。トマト風味のゼリーの中に、鯵と蟹、さいの目に切られたキュウリやナスが入っている。口に入れると最初にトマトのうまみがふんわり広がって、それから具材それぞれの食感がくる。おいしい。緑のソースはすこし癖のある風味。絡めて食べると味に奥行きが出てなお美味しい。こういう素材の品目が多い料理って、自分では作る気にならない(し、こんなにおいしくは作れない)から、贅沢な気分になる。

f:id:tobychang:20170108222646j:plain

 上はオマール海老のテルミドールテルミドールって何? と思い調べてみると、さるフランスの劇場で上演された芝居の題にあやかって、近所のレストランでつけられた料理の名前とのこと。ふむふむ。海老の身もぎゅっとつまっていて、おいしい。上にかかったホワイトソースのようなソースが美味しい。海老の身をほぐしながら、(無限に食べたい)と私は頻りにつぶやいていた。恋人はこれが結構気に入っていた様子。好きな人が美味しそうに食事しているのをみると嬉しい。

f:id:tobychang:20170108224812j:plain

 これ! が、食べたかったの!  フォアグラと牛フィレ肉のロッシーニ! かな〜りボリュームがあって、フォアグラも牛肉も絶妙な火の通り方。食べると私も恋人もにこにこ。黒トリュフの芳醇な香りの濃い、甘めのソースに絡めると、旨味の爆弾みたい。「この世の美味しいもの全部詰め込みました」、みたいな美味しさ。お肉の下にあるマッシュポテトがソースを吸って、それも美味しい。美味しい以外に言うことがない。素晴らしい。フィレ肉も赤身の部分なんだけど、丁寧に火が通されたようで、しっとりしていて柔らかく、それにとろけるフォアグラの油が合わさるの、この料理考えた人天才でしょ。ロッシーニさん? ありがとう。

 他に、オリーブの盛り合わせと黒トリュフの乗ったリゾットを頼んだけど、これは写真を撮り忘れました。私はロゼのスパークリングと赤ワイン、彼女はロゼのスパークリングを一杯。昼に飲むと、ちょっとまわりやすいね。満腹。大満足。是非また来たい!

 

  ※

 

 酔い覚ましに銀ブラ。KITTEのインターメディアテクを見たり、コーヒーを飲んだりして東京駅で解散。何でもない会話が幸せ。

 

  ※

 

 最寄駅からの帰り道ではもう、しっかりと雨が降っていた。風が強かったので、私の貧弱な折り畳み傘は使えなかった。

 イヤホンでデヴィッド・ボウイの曲を聴きながら、駅から自宅まで小走りに帰った。クリスマスに恋人にもらった靴が濡れてしまったので、コタツの中で乾かしている。わたしもコタツに入ってこのブログを書いている。

 毎日こんなことをしていたら大変だけど、たまのデートだから、とても楽しいのだと思う。冬休みもあと明日1日になってしまったが、むしろめまぐるしい日常に巻き込まれた方が、デートまでの待ち遠しい時間を短く感じられて良いのかもしれない。

2017/01/06

食事 休日

 低糖質ダイエットに取り組む、と昨晩の記事で書いた。

 低糖質といっても、100%カットするものや、夕飯だけ炭水化物を控えるもの、素材にだけ気をつかうものなど様々ある。私がこのたび、自分に課したルールは以下だ。

・自炊では肉・卵・野菜・きのこ類を中心に食べる

・糖質が多いと言われる野菜や、砂糖などの調味料をなるべく控える

・外食の折は、人付き合いに支障がない範囲で控える

 まず一番上のルールは簡単だ。塊の豚肉を買ってきて低温調理で火を通しておけば、数日は保存しておけるし、何よりおいしい。塊肉を150グラムくらいずつ食べると、結構おなかいっぱいになるし、贅沢な気分になれる。外食よりはお金もかからない。ダイエット中に限らず、継続したい習慣だ。

 二番目のルールには、玉ねぎやジャガイモ、ニンジンなどの根菜類、葉物野菜だとキャベツあたりが当てはまる。しかし、これらを完全に排除すると、栄養状態によくないので、少しずつなら食べても良いことにする。ハンバーグに入ってる玉ねぎくらいならok、じゃがバターはアウト、ぐらいの感覚で。お砂糖は普段からあまり使わないけど、みりんが少ないのはけっこうしんどい。

 三番目のルールが問題だ。実は昨日、職場のベテランの方に誘われて、中華料理屋に入ってしまった。この方は割とよく食べる人で、私と一対一で食事をするときは、必ず奢ってくれる。ありがたいお話なので、断ることができなかった。

 中華料理屋のメニューは、麺類とご飯類、そのほか点心や一品料理があるだけで、ちょっと困った。先輩の手前、回鍋肉や油淋鶏の単品だけを頼むわけにもいかず、チャーシューメンを頼んでしまった(おいしかった)。麺を食べるとすぐ血糖値が上昇して、後頭部のあたりがじんわりとやわらかくなるような感じがした。糖質おいしいよ〜。

 

  ※

 

 昨晩から現時点までは、結構シビアに過ごしている。きゅうりにマヨネーズをディップして食べたり、煮豚に焦がした醤油とマーガリンをかけて食べたりしている。油分はある程度摂取してもOKなのが嬉しい。まだまだ糖質制限レシピは想像できる。いろいろ試してみたい。

2017/01/05

映画 雑感

 一人暮らしの我が家に帰ると、他人の家の匂いがした。部屋の下見をした時にも同じ匂いがしたから、多分部屋自体に根深くしみついているのだろう。嫌いな匂いではない。

 あ、と思い出した。わたしがこの部屋で過ごすのも三月の末頃までなのだ。つまり、あと二ヶ月と二週間ぐらいしかない。今まで5回、引っ越しをしたけれど、その中でもかなり気に入っている部屋だから、もったいない気がしている。

 

  ※

 

 先日観た、『アデル、ブルーは熱い色』について。

 私は美術系の大学を卒業して、いまは教員として働いている。ので、主人公のアデル(教員)と、その恋人のエマ(美大生)の両者の生活のバックグラウンドについて、ある程度実感をもって見ることができたと思う。

 色々言いたいこと、考えることはあるのだけど、要素が多くてまとまらないので、箇条書きにしてみる。ネタバレもあるし、細かすぎて未見のひとには何のことやら、という感じだと思いますが。

 

・アデルがボロネーゼを食べる時のなんとも言えない魅力。テレビを見ながらぼんやりとしていて、口の周りにソースがついているのも可愛い。しかもおかわりしちゃうアデル。容姿のために特段の努力をしているような気配はない、髪もかきあげてまとめるだけ。

・アデルの父親が、エマの訪問時に、「美大生だそうだが仕事は大丈夫か?(うろおぼえ)」と問いかける場面は、リアリティがあった。保守的な家庭の人間は必ず仕事の話をする。夢追い人アレルギーみたいなものだ。家族や近親者に不安定な生き方をしている人物がいることを恥に思うタイプである。これに対して「グラフィックの仕事があるので」などと返すエマも小慣れたものだ。実際のところ、世の中の多くの人は美大出身者の職業や、美術・デザイン業界のことについて、ほとんど知らないのだ。適当に答えて納得させておけばいい。

・エマの友人たちが多く集う場面。エゴンシーレ云々クリムト云々の会話を、私は楽しく聞いていたのだけど、アデルが退屈そうにしていたのが印象的だった。客たちは文化的(ときに文化の皮をかぶせた下ネタもあるけど)な会話をぺちゃくちゃしている間に、アデルは(家で習ったと思われる)ボロネーゼのスパゲティを客たちに取り分けている。エマ(文化的生活)対アデル(家庭的生活)の対比が色濃い場面だった。その中でアデルが孤立感を深め、自分を必要としてくれる家庭的な(=平々凡々な会話ができ、肉体的な欲求を満たしてくれる)男との浮気に流れていった。本当にアデルが欲しいのって、二人が学生で、時間がたっぷりある頃の恋愛なんだろう。エマはミューズとしての女体が欲しかったんだと思う。 で...アデルが教師として働いて、目の下にクマ作って賃金を得ている一方で、エマは自分の画風にケチをつけるギャラリストに苛立っているんだもん。彼女たちの間で、本質的に希求しているものが違うんだよ。うまいこと、「もっと抱いてくれ」とか「いつ頃までは忙しい」とかお互いの事情をきちんと相談しておけばよかったのに。同性愛者に限らず、こんなすれ違いはどこにでも転がっている普遍的な話だよね。

・どうでもいいんだけど、タバコの直径は成人女性の乳首の直径に近いらしい。くちにくわえることで安心するサイズ。やたら喫煙者が多いなあ、と思って見てたけど、喫煙してるひとって、どこか寂しくて画になるよね。

 

  ※

 

 とりとめもなく書いてしまった。多分、人生のさまざまな場面で思い出すことになる映画だと思う。ので、ブルーレイを注文しようかな。日本版だとボカシがかかってるらしいけど、海外版だと日本語字幕が多分無い。一長一短で迷う。

 

  ※

 

 正月太りを解消するために、二週間程度、低糖質ダイエットに取り組む。加えて、30日スクワットチャレンジもする。太りやすいけど、運動が嫌いじゃなくてよかった。今日は二日目。あと28日頑張る。

2017/01/02

映画 雑感

 祖父母宅へ行く途中、母の運転する車内で何か若者の聴く音楽を教えてあげようと思って、adeleの『25』とmaroon5のベスト盤をレンタルしたものを聴かせた。他の候補としてはブルーノ・マーズとかデヴィッド・ゲッタもあったんだけど、ポップで聴き易いものを、と思い、前の二つに。adeleは大変よく気に入っていただけたようだ。

 

  ※

 

 リトル・ミス・サンシャインを観た。

 物語の冒頭で自殺未遂をした伯父を引き取る場面で、(あれ、これってこんな暗い映画なの?)と思って不安になって、それから一家の不和をこれでもかと詰め込まれ、感情移入させないタイプの映画なのかな、と俯瞰するモードに。

 登場人物それぞれに問題があって、もう目も当てられない、と思い始めた頃に、妹ちゃん・オリーブの笑顔が炸裂したり、ワーゲン・バスをみんなで押してエンジンを起動させるという物語上の仕掛けが登場して、家族が共同し始めた頃から面白くなった。みんな妹ちゃんのことは大好きなんだよね。オリーブちゃんがアイスクリームを食べる場面なんか、観てるこっちまでにんまりしちゃう。あ〜かわいい。

 で、終盤、幾多のトラブルを強引に乗り越えた先に待ってるのが、小さな女の子に化粧させたり大人の価値観でガチガチに固められた奇妙なミス・コンテストなんだ。予々わたしも、ミスコンという仕組みには疑問があったんだけど、その気持ち悪さをうまく言い表してくれた感じがする。

 というのは、一般論とか正論とかじゃなく、美とか良さを測る尺度に対しての嫌悪感なんだと思う。大学のミスコンに出る人たちって、似たような顔で似たような微笑みで似たような広報戦略で、さらに言えば、ミスコンに関わるような人々も似たようなクラスターでさ。私のような内向的な人間からすれば、どこか遠い国のお祭りと同じ奇妙な風習だなあという感じがしちゃうんだよ。わたしが好きな女性のタイプとか、美しいな〜と思うひととは、まるっきり違ってるんだもの。わたしはミスコンに出ないような人が好きです。容姿のことじゃなく、メンタリティがね。要は「美の多様性を尊重する観点から、ミスコンに出る人間のメンタリティを美しいと思えない。」ってことかしら。うまく言えないや。

 で、映画の中では、自殺未遂した同性愛者の学者が、「ミスコンはクソだ。人生はクソみたいなことばかりだ」って言うんだけど、彼が言うように、世の中にはすごく理不尽な尺度がたくさん蔓延ってて、自分が望まないマウンティングの中に勝手に取り込まれてしまってるんだよなあと感じ入ったわけ。それでも物語の中の一家は、ブーイングが起ころうが、退席する観客が出ようが、生きて在ることの尊厳をきらきら振りまきながら、不器用なダンスを踊りきるんだ。泣けてくる。

 オリーブちゃんを演じたアビゲイル・ブレスリンは、『ゾンビランド』にも出てたのね。愛嬌のある表情が魅力的で、これからどういう芝居をするのか、とても楽しみ。

 


Little Miss Sunshine - DVD Trailer